夢の後先(1)

夢の中にいられる時間は、そう長いものではありませんでした。

引越し、という大きな行事が待っていました。

もろもろの手続きや、新居のご近所へのあいさつ、引越し業者との連絡。などなど、やることは次から次へとでてきます。

しかも、仕事のある主人はほとんど動けるはずもなく、ほとんどがわたしひとりでやらなければならなかったのです。

環境が変わる。

その言葉にはこういった目には見えないことも含まれているのでしょうか。引越し当日には疲労困憊といったありさまでした。

幸いにして、引越しはわたしの体調も考慮して、業者に荷物の梱包から開封までを任せるコースにしたため肉体的には楽をすることができました。

とはいうものの、旧居の引渡しまでに時間がなかったために、旧居の掃除を慌てて行うことになってしまいました。

ほぼ一日かけて、新居へと無事に移ることができました。

ここからが、わたしの買い物依存の再発でした。

引越し当初はなにかと必要なものが出てきます。

そこで、いくらかのお金をまとめてもらってしまったのです。わたしの油断もありました。

「もう大丈夫だろう」

何度、つぶやいた言葉でしょうか。

けれど、大丈夫ではありませんでした。同じことを繰り返したのです。

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夢(3)

何もない部屋でまずやったことは・・・。

寝転がって天井を眺めること・・・。

狭い部屋だけれど、どこになにを置くか、カーテンはどうするか、カーペットはどうするか・・・考えてもきりがありません。そんなことばかり考えていました。

まず、最低限必要だと思うカーテン類は時間を見て、わたしが買いに行くことになりました。今から考えれば、夫と一緒に行けば良かったのに、その余裕がなかったのです。

わたしはお札を渡されて、必要なものを次々に買っていきました。

カーテンだけで済みませんでした。部屋で使う小物、掃除道具、引越しに必要なもの、際限がありません。わたしはまた、物欲に負けることになってしまいました。その後、罪悪感から長い間抜け切れずに過ごすことになりました。

新居はさほど手を入れずとも十分住める状況でした。

カーペット敷きのカーペットを新品に交換してもらい、あとはホームクリーニングの業者に頼むことにしました。これは両件とも非常にきれいに仕事をしてもらえ、わたしたちは新築同然の中古マンションに住むことができるようになったのです。

さあ、夢の始まりです。

わたしはこの新しい家でなんとしてもフラットな心を手に入れたかったのです。躁うつ病と言われて3年。「治りにくい」と言われ泣きそうな日々もありました。でも、うまく躁とうつの波をうまく波乗りしている人もいるという。そんな波乗りの上手な患者になりたいのです。

以前の家ではできなかった治療・・・。それはきちんと病気を知ろうとしていなかったのです。薬を飲んでいれば治ると思っていたのです。でも、気づきました。この病気はうまくつきあっていくことを、治る、というのではないでしょうか。

新しい環境で、じぶんという 人間を一から眺めたい。

そういった望みをようやくわたしは叶えたのでした。

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夢(2)

ずっとずっと夢でした。

自分の家を手に入れるのが夢でした。

子供の頃から狭い借家に住み続け、結婚しても自分の家を持てていなかったわたしにとっては、中古でも新築でも、自分の気に入った家を自分のものにすることが大切だったのです。

もっと探せばいろいろあったのでしょうが、金銭的に予算が厳しいこともあり、これ以上良い物件が出てくる可能性も低いということで、この中古物件に決めたのです。

もちろん、管理組合がきちんと活動されていたり、マンション内に共有部分の掃除が行き届いているなどマンションをきっちり資産と考えていらっしゃる方々が住んでいることがわかったからです。

主人ともどこをリフォームしたいか、という話もでき、同じことを考えていたことが判明したので、もうこのマンションに決めるようにお膳立てされていたようにさえ感じられました。

このマンションの購入を決めたら、あとはスピィディーでした。

購入に関して必要な手続きはあれよあれよと言う間にすすんでいきました。売主さんともお会いできることができました。わたしと同世代くらいの優しそうな女性でした。お姉さんが付き添いにきていました。心配だったそうです。

ここでほとんどの手続きを終わらせて、あとは銀行で金銭の引渡しと鍵の引渡しを行うだけになりました。ほっとしました。

けれど、わたし達のものになるのに、まだわたし達のものではない。そんな不思議な感覚がぐるぐると回っていました。

そのころの楽しみは、家具の配置やカーテンの柄など家の中のインテリアのことばかりでした。せまい家の中でいかに広く過ごすか。そればかり考えていたちいっても過言ではありません。

そうしているうちに、引渡しの期限はやってきました。某銀行の2階に両方の不動産関係者、銀行の融資担当の方、そして、司法書士さんなども加わり、お金の譲渡を行いました。全てのお金が相手方に行ったあと、ようやくマンションの鍵をもらうことができました。

この鍵・・・。

この鍵をもらって初めて、わたし達夫婦は家が自分のものになったと実感することができました。感動の瞬間でした。

そして、初めて鍵を自分で開けたときは不思議な気持ちに包まれました。これから、ここがわたし達の家・・・。これから、ここを住み易いようにしてきたい。そんな思いにつつまれていました。

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夢(1)

それまで住んでいたマンションは、立地もよく、会社からの借り上げ住宅ということで家賃もずいぶんと抑えられて設定されていました。

というわけで、わたしたち夫婦はその恩恵にひたり、引越しなどというものを具体的に考えたこともなかったのです。わたしが躁状態のときに夫に「マンション買おう」と言って、機嫌を悪くさせたことはあったのですが具体性はまったくなかったと言えます。

そのマンションが家賃がどんどん上がっていくという通知がきたのでした。会社側も経営が苦しくなってきたのでしょうか。福利厚生にかけるお金も減ってきているようでした。

精神状態が落ち着いてはいるとはいえ、家を探し引っ越すというのは躁うつ病には試練です。

まずは、家を賃貸で借りるのか、それとも中古住宅でも購入するのか。ここからがわたしたちの家探しのスタートでした。そして、ひとつだけ譲れない条件があった。いま我が家にいるペットたちが住み続けられること。ペット可とされた物件以外に住む気はありませんでした。これは賃貸でも、購入でも条件としては譲れませんでした。

当初、夫は引越しに乗り気ではなく、購入なんてことはまったく考えてもいないようでした。そこで、わたしはインターネットを利用して購入の場合の資金繰りを計算したり、賃貸のデメリットを調べたりと、いろんなことに踏ん張りをみました。

この時期、躁に入っていたような気がしています。とにかく精力的に動き、ひとりでも不動産屋さんに入り、物件をいろいろ見せてもらっていました。

物件をいろいろ見せてもらっていく中で夫の考え方も変わってきたように感じていました。

しかし、やはり精神的に不安定だったのだと思います。

とある物件を紹介されたあと、何を思ったのか眠れない夜の時間にひとりで家を出たのです。「歩いてみよう」そう思いながら、深夜の道をひとりで歩き、3時間かけて物件にたどりつきました。もう、夜があけていました。いまではおおよそやらないことですが、当時はとにかく不安が強く「夜の風景も見ておかないと」と自分の中に思い込みがあったのです。睡眠薬でぼんやりしながら起きていたせいもあるかと思います。

後に夫にひどく叱られ、それ以来深夜に一人でというのはやらなくなりました。

さんざん、いろんな物件を見て回っているうちに、夫もわたしも気に入る物件が見つかりました。中古のマンションで少し古いですが、中も丁寧に使われていて、きれいでした。売主さんともいろんなお話ができました。広くはありませんが、二人で住むには十分だと思えました。

ここがわたしたちの城になる・・・。

そう思った瞬間から、またわたしの買い物依存が始まってしまっていくとは思いもよりませんでした。

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再燃 (3)

そして、この時期にはもうひとつ大きな問題がありました。

暗いトンネルの中でもがくわたしは、なんとかこの状態を脱したいと必死でした。そして、自傷行為に戻ってしまったのです。

自傷行為といっても、今度は目に見える体を傷つけるのではなく、体の中を痛めつける行為でした。俗にOD、オーバードーズと言われます。薬の大量摂取でした。

こころがゆらゆらと不安定になると、無性に薬が飲みたくなるのです。薬をたくさん飲んで、眠ってしまえば全てが終わるのではないか。そんな妄想に取り付かれていました。

いつも、睡眠導入剤を多量に飲んでしまうため、受診までに足りなくなっていました。そんな時は薬局で市販されるようになった睡眠導入剤まで購入しました。ただし、これはほとんど効きませんでした。

安定しないこころをなんとかしたくて、ひたすらに消えたくて、わたしはその行為を繰り返し続けていました。主治医は知りません。とにかく見捨てられるのが怖くて、隠し続けました。カウンセリングでも一言も触れませんでした。ですから、クリニック側がどこまで把握されているかわかりません。

この頃はお酒もやめられず、薬と一緒に飲んでいました。

お酒と睡眠導入剤。

危険な取り合わせを平気で毎日飲んでいました。この取り合わせで飲むと記憶もあいまいなことが多く、とても危険です。知らないうちに怪我をしていたこともありました。やめなければ、と思いながらも、やめられませんでした。

買い物とオーバードーズ。

これが落ち着いてくるには薬の効果が必要でした。

躁うつ病、そう診断されて飲み始めた薬は時間がかかりましたが、徐々に効いてきました。主治医が目指していた低目安定の意味が効き始めてわかりました。精神状態が低めだと買い物する意欲がなくなります。けれど、それ以上は下げずに活動する能力を残します。これを微妙なさじ加減の薬で調整していきました。

やがて、うつはほとんど来なくなりました。消えたい、死にたい、とは全く思わなくなりました。

買い物は現金を持ってしまうとしてしまいます。なので、最低限のお金を持つだけにし、必要なものはきちんと夫からもらうこと。これを再度徹底されました。お金に関しては、情けなく辛い思いをしました。自分で働いていた時の充実感が忘れられないのです。そこから脱却するには長い時間がかかりました。

こうして、病気と闘う一方でわたしと夫は会社の都合で新しい住まいを探さなければならなくなっていました。それまで住んでいたマンションを出ていかなければならない状況になっていたのです。

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再燃 (2)

お金を持たない生活を送ること。

これは思った以上にストレスがかかり、苦しいものでした。必要なお金はその都度夫からもらうことにしていましたが、わたしはそれがうまくできませんでした。いままでやってきたことを考えてしまい、お金をもらうことがひどく罪悪感の感じられる行為になってしまっていたのです。

必要なお金をもらわなければ、月に1万5千円もらうなかからやりくりしなければなりません。食料品を1日千円に抑えても足りませんでした。どう考えても無理なことをしようとしていたのです。

そして、それがストレスとなり、せっかくの1万5千円もあっという間に使い切ってしまっていました。そうして、自分が自由に使えるお金を全て使い切って初めて、必要なお金を夫にもらうようになってしまっていたのです。

夫もそれまではお金に無頓着な人でしたから、わたしがそういう状態に陥っていることに気づいていなかったのです。

クレジットカードはいらないものは全て整理し解約しましたし、必要なものは夫が管理していたので使わなくてすんだのです。

この時期はとても苦しくて、何をやってもうまくいかない絶望感に苛まれていました。

病気のコントロールでもあまり感情を高ぶらせることのないように、薬のコントロールがされていたので気分はいつまでたってもすっきりしませんでした。暗い洞窟の中に一人で残されていた気分でした。

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再燃 (1)

無事に退院をし、自宅に戻ったわたしでしたが、こころのなかはざわざわとしていました。家に戻れてうれしいはずなのに、どこかで病院が恋しい気持ちが残っているのです。

おそらく、自宅に帰れば家事をやらなければならなくなる。

これがストレスだったのだろうと思います。、それまでのゆっくりした時間とはお別れになってしまうのです。

ただ、怪我をしていたペットのうさぎの面倒をきちんと診てやれることだけがうれしくてたまりませんでした。

自宅に戻ってきて、しばらくは何をしていたのかははっきり覚えていません。おそらく病院にいたころと同じような、なにもしない生活を送っていたのだと思います。

けれど、一番の問題だったのはやはり買い物依存のことでした。

少しでも自由になる金銭を持つとすべて使い切ってしまう、

クレジットカードも手じかにあれば使ってしまう。

せっかく決めた取り決めごとが全て元の木阿弥になっていたのです。夫と相談し、わたしには小遣い制にして、小分けにして現金を渡していくことになりました。小学生のお小遣い並みですが仕方ありませんでした。

とても情けなくて、泣いても泣いても泣けてきました。

お金の管理まで人の手を煩わせるなんて・・・自殺への誘惑も頭をよぎりました。

ちょうどそのころのことです。

入院先で決めた主治医の診察がありました。

主治医はわたしの経歴をみるたびにうなり、そして一言言いました。

「うつだけじゃないよ。躁があるんだよ。うつと躁が交互にくるでしょ。薬変えてみようよ。躁があんまりこないようにね。」

青天の霹靂でした。

いままでうつ病だと思って必死に治療していたのに、躁鬱だったなんて・・・。なんだかいままでにがんばってきたプライドはボロボロになりました。恥ずかしいことながら、看護師でありながら双極性障害(躁うつ病)のことはあまりに無知でした。

家に帰って調べまくりました、

治りくい病気であること。繰り返すこと。いくつでも問題点はでてきました。主治医にも相談しました。主治医は「躁が飛び出てこないような低めの精神状態を維持していこうと考えていました。結局、お金を使うことでわたしは罪悪感を感じてうつへといこうしてしまう。

これをなくすために、お金をできるだけ持たない生活を送る。

これが当面の目標だといわれました。

結局、わたしは月に1万5千円を自由につかえるようになった。必要に応じて夫より必要分だけ渡してもらう。

これがわたしたち夫婦の導き出した方法でした。

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安息 (3)

退院も決まってから、わたしは再三に渡って外泊の訓練を行いました。

毎週2泊ずつ、何週にも渡って自宅へ戻ることにしました。

外泊ではできる限り、日常の生活と同じように生活をしてみました。

精神的に落ち着いてきたせいか、穏やかな日常を過ごすことができていました。

ちょうどこの頃、ペットのうさぎが骨折してしまい介護が必要な状態だったのです。毎日、うさぎの世話で一日が過ぎていきました。それが幸せだと感じました。

このペットのうさぎは10年以上にも渡ってわたしを慰めてくれた大切な存在。大事な大事な家族だったのです。その家族と過ごせることがとてもとても幸せでした。

また、夫もわたしに対する対応を学んだようでした。

今までのように気分転換を強要したり、「がんばれ」という言葉を出さなくなりました。わたしにとってはありがたいことでした。

これで自宅に帰っても大丈夫。

そう思える日がついにきました。

わたしは3ヶ月に渡る入院生活を終えることになったのです。

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安息 (2)

開放病棟での楽しい生活は現実を忘れさせてくれました。

けれど、いつまでも現実をわすれているわけにもいきません。

いつかは退院して、現実の世界に戻っていくのです。その準備を始めなければなりませんでした。

その最初の手段としてカウンセリングを行うことになりました。

実はこの病院は、わたしが最初に受診したクリニックの基幹病院でした。自己判断で中断したカウンセリングでしたが、最初に受けたカウンセリングと同じ臨床心理士が担当してくれることになりました。

入院中に何度かカウンセリングを行い、退院後も継続していくことに決まりました。

それに伴って、主治医を変更することを自ら希望しました。

カウンセリングと診察が違うクリニックでは連携が取れないと思ったからです。この時から本気で病気で向き合う覚悟ができたのかもしれません。

直談判の結果、入院前に通院していたクリニックの了解を得て、主治医を変更することになりました。

わたしが始めて会った時に、感じが悪い、と思った医師が主治医に決まりました。

どうして、感じが悪い、と思った医師を主治医に選んだのかは、入院中にその医師を見ていて自分の判断が間違っていたとわかったからです。

決して、患者の話を聞かない医師ではありませんでした。あの印象は自分自身のこころがささくれ立っていたことと、医師が多忙を極めていたことが原因だったと気づいたのです。

こうして、退院してからのことが着実に決まっていきました。

また、退院後にはデイケアを利用することも決まりました。

自分の病と向き合うために、必死で勝ち取った環境でした。

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安息 (1)

新しい病棟に移ってもこころの平穏さは変わりませんでした。

同室者の小林さんというかわいらしい女性がいました。彼女の明るさに助けられたおかげもあるかもしれません。

大勢の人間が一緒に生活する場では小さなトラブルはつきものです。新しい病棟も例外ではありませんでした。

人間関係に問題が起こり、泣いたこともありました。

そんな時、支えになってくれたのは小林さんでした。入院生活がこころ穏やかなものになったのは彼女の存在がありました。

泣いたり笑ったりしながら、わたしは次第に感情を取り戻して行きました。

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